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Webマガジン
2007年1月31日(水)

ーフィリピンレポートー
フィリピンは、今乾季で、昼間は非常に暑いのだが、夜は半そででは寒いくらいだ。フィリピン人の人柄は、非常におおらかでネアカとくる。貧しい地域に来てもそう感じる。いろいろな人と話をして、この国のGNH度(国民総幸福の度合い・・詳しくはhttp://gnh-japan.net/)は日本より高いのではと感じている。

今回コーディネートしてくれた、山内さんのことを少し紹介する。彼(山内さん)は、19の時から18年間ヒィリピンに住んでいる。奥さんはヒィリピン人で子どももいる。仕事もやり手でいろんなビジネスをやっている。日本の投資家からの依頼で土地を買い管理したり助言したり、店をあづかり管理したり、今回は片岡先生たちが出資もした公益法人を通して僕と看護士を日本に派遣することをやっていくことになりそうで、すごくいろんなビジネスをやっている人だ。人柄おおらかで、僕とも波長が合い常に新しいことを見つけていける人だと感じた。彼曰く、近い将来海辺に土地を買い。優雅にすごしたいと言っていた。

交通事情を説明すると、とにかく凄い渋滞で、なんか交通麻痺しているみたい。この状態はバンコクに匹敵するぐらいだ。そして、あちこちの主要なショップの前には必ず警備員がいる。ここも危険な国なんだろうと想像できる。インドもそうだったけど、この国も似ている感じがする。しかし、ひとつ路地を入るとまた違う世界がある。下町みたいなのんびりした雰囲気が広がっている。なんとも不思議な場所だ。

ただ政治家はとても真剣だと聞く。許認可権に利権が絡むので、昔から対立が激化し、家族も殺されたり紛争が絶えず、最近でもよく知事などは殺されているそうだ。 「政治家の目は生きている。」いい悪いは別として日本の政治家もこのくらい真剣にやる人が出てくると、社会も変わるのにと思う今日この頃でした。 
 
 フィリピンでいくつかのヒントをもらった。アーケードの活性化につなげる方策だ。日本に帰りいろいろ研究してみようと思う。また、今回の主目的である、FTAに伴うフィリピンナースなどの受け入れについても、フィリピンでの大学側との交渉に望み、一定の成果を得た。日本に帰り、早急に受け入れを進めていきたいし、宿題もいっぱいいただいた。また、フィリピンのナースたちはマッサージもうまいことから、アーケードでマッサージ研修なども実施したらどうか?いろいろなことを組み合わせてアイディアをだし、実現可能にするために落とし込む作業をこれからどんどんやるつもりだ。
私は、片岡先生や家族などいろんな人のおかげで、海外に行けていると感謝する。その海外からいろんな視点で物事を見れるので、非常に感性が研ぎ澄まされてきた。もっともっと感性を磨き、物事の本質が見抜けるようにならないとと思う。

 最近思うに日本の過疎化は、フィリピンやカンボジアなどアジアの国々の若い力が必要だと痛感する。アジアの地域と交流することで、創造性が高まり、新しい知恵が生まれ、実行力も増す。この循環が大事で、これをトータルにコーディネートする力も必要となる。私ももっともっと力をつけ、コーディネートしていくつもりだ。
例えばフィリピンでの看護士受け入れにマイナス面を心配する人がいるが、「フィリピン人を受け入れないなら、ガソリンも輸入するな、サウジアラビアの油田はフィリピン人労働者が占めているのだから。」とパートナーの山内さんは言う。日本人は自分の都合のいいことだけ賛成するな。こんなことを言っているみたいに感じ心が痛んだ。

さて日本だが、確実にここフィリピンでも影響力が落ちている。円安もあるが、パートナーの山内さんいわく、今中国人がこの国ですごく活躍していると説明してくれた。それは古くなった鉄道を買収し、新しく合弁会社を中国資本で作り、経営をしていくというものだ。日本も中国よりも最初にこの案件を手がけていたのだが、プアピープルの立ち退きに失敗し頓挫したところを、中国人グループが、政府の高級官僚と手を組み一大キャンペーンを実施し、お金をばら撒き立ち退きをさせたということだ。やり方はどうあれ、昔の日本のお家芸が今では中国や韓国に先を越されていると感じた。カンボジアでも、シェムリアップで韓国資本で万博が開催され、エイペックがベトナムのハノイで開催された後に、ノムヒョン大統領がシェムリアップ入りし、オープニングセレモニーの行事が大々的にテレビ放映されていた。私もその時プノンペンにいたが、プノンペンの町中に、歓迎の旗や韓国の国旗が飾られそれはもうすごいというイメージだった。

上記で述べたように、東南アジアでは確実に日本の影響力が失速し、中国や韓国が台頭してきていることは事実だ。
ではこれから先、日本の向かうべき方向性は、どこに向かえばいいのか考えてみた。これからの方向性は、GDPなどの総生産ではなく環境や安全に配慮し、一人ひとりの満足度を高めるための動きでリーダーシップをとっていくべきだ。その為にも、GNH(http://gnh-japan.net/)の考え方や指標作りが必要だ。  そして  「We are asian」  同じレジョンの仲間なんだという意識に変わることで新しい未来が開けると感じている。
 

2006年12月15日(金)
インドのグアハティからのレポート

―グアハティ現地レポート―
今インドのアッサム地方にいる、しかしこの地域は日本人がゼロだ。ここまでは誰も来ないのだろう。昼は22度夜は7度。思ったよりすごく寒い。インドは暑い国と思っていたからなおさらだ。バンコクからここに入ったので特に寒く感じる。今回の滞在先は、MBAカレッジの校長の家だ。しかも若い実業家、若干30歳でしっかりしている。
空港から、政府の役人やセキュリティーサービスが機関銃を持ち、僕を50K先のグアハティー市内まで擁護してくれた。ぶったまげた。
どこに行くにも、セキュリティサービスが擁護。銃を持った軍人があちこちにいる。しかしインターネットカフェはあちこちに。。。でもスピードは電話回線だから、創造して。。。?
またこの国はスズキの軽があちこちに走っている。これもたまげた。でも、携帯をもてるのは、少しの金持ちだそうだ。2割が金持ち、8割が貧乏人と現地スタッフから説明を受けた。
また、日本食の店は無し。日本人もゼロの地域だ。やっとこんな国に来たという感じだ。(カンボジアやミャンマーでは必ず日本人がいた。)いろんなギャップを今僕はたのしんでいる。そういう意味では日本は平和ボケだ。つくづく思う。だからゆで蛙がたくさん出るのだろう。こういう地域に来て緊張感が出ればみんな変わるのにといつも思う。
走っている車の話をすると、インドはスズキ、カンボジアやミャンマーはトヨタ、中国は本田や日産、それぞれの国で車のメーカーが違う。やはり日本車はすごいのだろう。あとエレクトニクスはjapanNO1と誰もが言う。鼻が高い。日本人はもっとアジアに目を向けるべきだ。合言葉は「We are asian」私はそう思う。いずれ国と国とのボーダーラインは消え、EUのように地域が国となる日も近いだろう。キーワードは。ボーダレスワールド。21世紀の新しい動きだと感じる。

最近いつも思うが、こんな危ない国に来ると、わくわくするようになった。  僕も片岡先生に近づいてきているのかなあ?  

インドのグアハティイから 現地レポート
15/12/2006 23:45
鹿毛哲也

2006年11月17日(金)
今日プノンペンに帰ってきた。

10日から、バッタンバン、ポイポト、シソポン、シェムリアップ、コンポントムと約1週間の長旅を行った。
前回シソポンまでは話をしたと思うので、シェムリアップからの話を行う。
 シェムリアップは、アンコールワットなどの遺跡に近い街で、一大リゾート地になっている。近代的なホテルが立ち並び、すごくすばらしい街だ。
その反面物価が高く、環境破壊も進んでいる。
この部分をどうしたら、解決できるかを今模索している。
まず、木の伐採が進んでいて伐採したらそのまま放置状態だということ。
ホテルなどの排水が川に流れ込み、川の汚染がある。皮膚炎の子供が多い。
また、川の魚を都って食べているので、汚染された魚を食べている。
役人が給料が安いためか、汚職に走り、木を伐採してそれを売って生活のたしにしている。
周辺の農村などの住民が、職を求めてシェムリアップにきて、スラムを形成している。
周辺の農村の人の減少。
米が不足しているので、子供に満足に食べさせられない。
土地が砂が多いので、田には適さないので、畑を作っている。

こんな状態だった。

次の日、カンポントムの中にある、サンボープレイクック遺跡を見てきた。
ここはアンコールワットよりも古い時代の遺跡で、今,修復や観光地化に取り組みかけている地域だ。
村には電気も来ていなく、原始生活を行っているとのこと。ここでなんかコミュニティービジネスができないかと、
ビサルの妻テリーから言われている。今考えているところだが、この地域は何よりもインフラの整備(道路、水道、電気)が一番だろう。
ここで、すごくタフな女の子に出会った。東大を休学して、この村に入り、研究活動をしているそうだ。
それも、現地のコミュニティーのリーダー宅に住み込みでだ。すごい勇気がいると感心した。いろいろ聞くと、
トイレだけはお金を出し作ったそうだ。
毎日の食事は、蛇、かえる、こおろぎ、ねずみなど、考えられないものを食べている。
僕は、彼女のたくましさに脱帽した。僕はそこまではできない。鶏の頭も食べれないし気持ち悪いのだから。。。
改めて、女性のたくましさを見た。我が妻も強いのがうなずける。

2006年11月13日(月)

11月10日から、battambang、poipet、sisophon、siem reapをまわる視察に来ている。
行ったのは、3人だ。通訳のkunnna君、案内役のチューレンさんと僕の3人だ。
1番目のバッタンバンは、カンボジア第2の都市で、ポルポト派の拠点だった町。
コミュニティーの人達と交流をしてきた。正直どこのコミュニティーも、みな同じ様そうで、
どこからがスラムでどこからが普通の家庭かわからない部分もある。それだけ貧しいと
思える家が多いのだ。ここではコミュニティー
のリーダが、修理工場を運営していたの
で、日本から古いトラックなどを持ってき
て部品を売るビジネスは儲かるかと聞い
たら、是非プロデュースしたいと早くも乗
る気だった。
ここでもビジネスの種があると感じた。
次に国境の町ポイペトに来た。ここは国
境の街だけあって、荷物の搬送がすご
い。その前にポイペトに行くまでの道が舗
装されていなく、相当バスがゆれた。胃が
悪くなるくらいにだ。
夜に、国境付近に行ったら、人がわんさ
かいて賑わいがすごかった。また、高層
ホテルが建っていて、カジノをやっていた
ので覗いてみた。いろいろな人種がいた
が、声からして韓国人が多数を占めてい
るみたいだった。僕はカジノに興味がな
いので、ここで金使うぐらいなら、プアー
ピープルにお金を少し分けてあげたらい
いのにと思った。
帰り道で、自分の5歳の息子ぐらいの子
が、泣きそうな顔で寄付を頼んで来た。
僕は非常に心を痛めた。自分の息子とこ
の子供が重複したのだ。すぐ寄付をし、
頭をなでて「しっかり生きろよ」と心の中で
叫んだ。
最後に、シソポンに来た。ここは、通訳の
kunnaが帰ったので、チューレンと二人
旅になった。街に着くと一段落して、コミュ
ニティーに案内された。ここで昼食をご馳
走になり、どぶろくみたいな現地のお酒を
いただき、ほろ酔い気分になり、あまり通じ
ない英語でみんなと笑いながら時を過ご
した。非常に楽しかった。昼食後、コミュニ
ティーを回り、山に登ることになった。
山に登り頂上から見渡す景色は絶品で、
心に焼きついた。また来たい国と思わせ
る景色だった。
その後、下山するのかと思ったが、急に
ここに行くかと聞かれ?何もわからず
階段があったのでOKといったら、みんな
ですごい急階段を下りていくとそこは
テンプルみたいになっていて一人の老人
がいた。どうも有力者だろう。
挨拶をしいろいろ話をしているのを横目に
僕はあまり理解できなかったがここは何
とか乗り切り、その場をしのいだ。
山を降り、ファンドの責任者とディスカッション
の後食事してホテルに戻った。
次の日は、メールチェックをして、シェムリ
アップ息のバス停についた。
バスの搭乗時間は4時間と聞き、途中ラ
ンチタイムで下車すると聞き、問題だ、ラ
ンチを僕は頼めないというと、彼女がフラ
ンスパン2個と缶のコーラを差し入れてく
れた。僕は、彼女の親切と心遣いに感銘
し涙が出そうになった。
カンボジアの人ってなんて優しいんだろう!
次回はシェムリアップ以降のことを書きます。
乞うご期待!!

2006年11月10日(金)
シアヌークビルに行ってきた

カンボジアの南西の町、シアヌークビルに行ってきた。リゾート地と、海外からの貿易の玄関の港がある街だ。
海はきれいだし、まるで別世界に来た見たいだ。
港は整備されているが、そこに日本の国旗を見つけた。もっとよく見ると「五洋建設」の名前があった。
なんか誇らしい限りだ。
そういえば、先月韓国プサンに行ったとき、日本人設計の橋と韓国人設計の橋が近くにあったが、台風が来て、韓国人設計の橋は流されて、日本人設計の橋は流されなかった。という話しを聞いた。日本の技術力は相当高いのだろう。また誇りも感じた。
これが愛国心というやつなのだろうか?

海外生活が長くなるにつれ、外から日本を客観的に見れるようになった。

2006年11月9日(木)
もったいない運送プロジェクトインカンボジアプロジェクト

テキスト ボックス:  
ビサルとの再開を祝して
ホテルの近くの店で

再び単身プノンペンへ

11月1日から約一ヶ月の予定で、再び単身カンボジアのPhnom Penhに入った。二回目とあってか少しは自分にゆとりがあった。いろんなことがスムーズに運んだからだ。一つだけ困ったことがあったとすれば、バンコクからPhnom Penh行きの飛行機内で、出入国カードと、ビザの(カンボジアは、ビザを空港で取得できる。20US$と写真一枚で30日間)申請書を記入する必要があり、記入方法がわからないところがあったことぐらいだ。わかるところをうめて、客室乗務員におそるおそる聞くことにした。最初は、書かなくてもいいといったが、どうも納得いかなかったので、何回も{This OK?}ということを聞き、根負けしたのか、ちょっと待ってといって、他のクルーに聞いてきた。やはり僕の意見が正しく、そこは記入する必要があった。納得いかないことはよく聞くべきだと痛感した。

テキスト ボックス:  
ビサルの家新築現場 次はここに泊まる予定
 いつものとおり、夜8時ごろ空港につくと、Mr.Sok Visalと通訳たちが待っていた。彼とはなんか波長が合い、会うとうれしくなる。早々にホテルに入り、部屋のドアを見ると、日本の僕の住んでいる地域で言う「かべちょろ・・・トカゲの一種」に歓迎され恐る恐る部屋に入った。喜んでいいのかわからないが、今回もいろんな方(昆虫?)に大歓迎を受けた。その後Mr.Sok Visal一緒に前回と同じ場所に食事に行き再開を祝しその日は別れた。

スケジュール調整

 次の日から、UPDFUrban Poor Development Fund)事務所でディスカッションを行った。

どういうスケジュールで約一ヶ月間を過ごすかが大きな議題で、これには2日間も費やした。学生の通訳では、中々話が進まず、また、午前中2から3時間午後2から3時間しか時間がなく、五時前になるとみんなそわそわし、五時前には話を終えて続きは明日なんていうくらいだから、なかなか前に進まない。まるで私が以前勤めていた○○市役所のことを思い出した。○○市役所も、暇な課と忙しい課(僕はここにいた。企画課で常に仕事が山ほど、それをこなして帰る日々・・残業なんてほとんどつけない)がはっきりしていて、暇なセクションは、五時前から帰る支度をし、五時の鐘がなると同時に、玄関から一斉に職員が帰り。役所付近はちょっとしたラッシュになる。カンボジアも同じで五時を超えるとラッシュが始まり、人がすごく町にあふれる。面白い国だ。しかし、朝は7時半頃からは出てきているみたいだが、基本的に勤勉かどうか疑問が残る国だと思う。

余談だが、昼食時に、Mr.Sok Visalの新築の家を見せてもらった。3階建てで非常に大きく立派なつくりだと感じた。彼は裕福な家庭だろうとも感じた。「今度来るときは、この家にホームステイするといい。」といってくれている。私もそのつもりだ。

話を四苦八苦しながらようやくスケジュールが固まってきた。日本のNGOの手束(てづか)さんと言う方を紹介され、いろいろ詳しくカンボジアの情勢を聞くことができたからだ。スケジュールは

114日から5日は、年に一度のPhnom Penhであるウォーターフェスティバル(4から6日まで祭日)を視察、その後

6日から南西にある港町SIHANOUKUVILLに一泊で行く

10日からBat Dambang

11日からPoipet(タイとの国境の町)

12日からBan teay(UPDFの事務所がある)

13日から Siem Reab(アンコールワットのある地域)

14日    〃

15日   Phnom Penh

残りの日付は、Phnom Penh市内でいろいろな調査にあたるということになった。

 

今後のプロジェクトの進行について

 今回、スケジュールをつめてきたが、とにかくいろいろが遅い。しかしこの国のスタイルにある程度合わせないと誰も僕の考えに賛同してくれないと思う。すこしづつ、色んな考えをディスカッションしていくつもりだ。また、メコンエキスプレスの藤田さんと話をした。カンボジア人は基本的に怠け者で働かないで高く給料をもらいたい人種だそうだ。社員の中にも泥棒がいて信用してはいけないといったおられた。また現地の日本人もだますやつがいるので要注意とのこと。いろいろ話をしていて興味深かったのが、サトウキビのかすがPhnom Penhでいっぱい出て問題になっているということ。日本と同じで、地方は廃れていて、地方の若者はPhnom Penhにでてきている。地方を元気にしないとだめだということ。スラムの支援で仕事を作るなら、サトウキビ畑をやるということがいいのではと、教えられた。運送業は非常に難しい。ジャイカも輸送事業で失敗したと聞いた。いろいろ聞き、やっと少し見えてきた。また、調査すべきこともわかってきた。これらを踏まえてこれから問題解決ビジネスの可能性を探っていくつもりだ。後編を是非ご期待ください。

 

2006年10月9日(月)
ミャンマー(YANGON)での最後のミーティング

最終日が来た。まとめに入っている。
コミュニティービジネスをやるのに、
現地での合弁会社か、COOPをつくって
やったらどうかとの案が出てきた。
駆け引きが難しい。むこうも中々言いたいこ
とを言ってくる。主導権を握られないように
交渉を進めてきたつもりだ。
結局、詳しくお互いが調べることとなった。
昼から責任者が政府に調べに行った。む
こうも本気みたいだ。
だめだったら、すぐ引くといっているし、
ミャンマーの法律がどうなっているのかも、
調べないといけないだろう。

まあデモ基本的にシャロンファンデーショ
ンと組んでやろうということになった。

仕事をするのに、
シャロンは、1、田舎での運送プロジェクト
2、スクールバスビジネス
3、伝統的な民芸品を作る手仕事の職人
の品々を、第三世界ショップへ売る

という提案をしてきている。持ち帰り検討
するといっている。

今日、インターネットをするもyahooから
メールが送れない。なぜかとたずねたら、
政府が送れなくしているとのこと。
うそか本とかわからないがこの国はその
くらいすると思う。

今回のことで、私もまた一つ進歩したと
思う。

成長することを忘れないでいきたい。
 鹿毛哲也

2006年10月7日(土)
ミャンマー速報

ミャンマーに来て4日目になりました。
いろんなことがわかってきました。ミャンマーの国の車は、ほとんどトヨタで、それも古い車がほとんどということ。新しい車に乗っているのは、政府の関係者がほとんどということ。
今日、ミャンマー管区の、北の外れにタクシーで行って来ましたが、そのタクシーはドアノブが壊れ、窓もろくに開きませんし、ドアロックも壊れていて度をあけるのに一苦労という状況でした。
ファーマーの家は高床式住宅で、とてもみすぼらしく、雨がもれてくる家でした。
米を収穫するのに、牛を使い収穫しているのですが、政府が道路を昼間通行するなって言っているので、夜の10時ごろ通行しているそうです。
とにかくこの国は政府がだめで利権と賄賂の塊みたいです。
ファーマーに、「仲間を作り収穫時に共同で集配するようにしたら、運賃は払えますか?と聞いたところ、払えるといっていました。どうかできないかと思い、日本に帰り研究するつもりです。
今日はこのくらいにします。

2006年10月5日(木)
ミャンマー緊急速報!!

皆さん
速報です。
突然ですが、今ミャンマー《yangon》にいます。なぜミャンマーにいるのか?師匠片岡先生の命を受け、ミャンマーでのコミュニティービジネスの可能性を探り実行するためです。
そのプロジェクトの詳細は、http://gnh-japan.net/をご覧ください。


日本を出て約9時間後の昨日ミャンマーの空港に到着しましたが、電話がぜんぜん通じません。また、マラリア蚊に注意とのこと。すごい地域に来ました。この前のカンボジアもすごかったのですが、ミャンマーも負けてはいないみたいです。
昨日空港に着いたのは、現地時間PM7時半、入国審査の会場が、今までに見たどの国より、ミスぼらしく質素でした。また気温が高く湿気が多くじめじめしていて、汗が滴り出てきます。荷物をとるところも、ベルトコンベアーにはなっているのですが、とにかく荷物が出てくるのが遅い。時間が止まっているかのようです。
どうにか空港に迎えが来てくれていたので安心はしましたが、電話が通じません。空港で見たタクシーはどれもぼろで、ドアも良く開かない車でした。街に向かうも電気がほとんどついていなく、田舎のほうも電気がまだ来ていないそうです。では夜はどうしているのか?ろうそくを使っているそうです。
そういう状況なので、もうあきらめてパソコンからこの状況をうっています。おおおおお、今パソコンを打っているのですが、停電になりました。このパソコンはバッテリーでうっています。とにかくすごい国です。どこかでインターネットにつなぐことができれば、このメールを送ることができるでしょう。泊まっているホテルは、まあまあです。一泊17US$で朝食付き。。。しかも寝ていて気のせいかちょっとかゆいですが???多分裏がジャングルなので、体が過剰反応したのかも。。。。いやあなんか出てきそうな地域です。

 今日から具体的なコミュニティービジネスの支援の話を行います。軍が掌握しているこの国。難民も多いとのこと。うまくコミュニティービジネスがやれるのか不安もありますが、 しかしみんなを幸せにするため、GNH(http://gnh-japan.net/)の精神を持って進めて行きたい。GNHは国民総ハッピー(幸福)の意味です。まだまだ日本人は甘えやエゴも多いのと恵まれすぎています。こういう状況を一人でも多くの方に理解していただくため、このレポートを送っています。

5/oct/2006 AM8:00
現地レポート  鹿毛哲也

2006年10月1日(日)
10月4日からミャンマーへ出発

もったいない運送プロジェクトの可能性を探るため、
4日からミャンマーへ出発する。下側の写真の左側が、ミャンマーから来ていた、Nang Rawさんだ。
どんな話になるか興味心身だ。

いくからには成果を残してこようと決心している。

あと、タイは新空港が開港している。タイ経由なのでそこも見てみたい。

とりあえず行って来ます。

鹿毛哲也